2010〈分岐点〉



出品者
恒星、小高一民、小林晃一、近藤昌美、スギサキマサノリ、タムラサト ル、野原一郎、樋口広一郎
企画構成
松永 康
会期
2010年9月11日(土)~19日(日) 17日(金)は休館 
会場
いきいき活動センターしずか館(体育館、会議室)
主催
現代美術展〈分岐点〉実行委員会
共催
久喜市教育委員会
後援
久喜市文化団体連合会 栗橋文化協会 埼玉県教育委員会
協賛
井上酒店 久喜市栗橋商工会 酒井石材 たつみ工芸 のまっしょ元
関連イベント
ボランティア研修会
国指定重要無形民俗文化財「土師一流催馬楽神楽」公演
恒星・ライブ
ワークショップ「心の中の風景―自分自身と向き合う」
中学校との連携ワークショップ「見えていたもの、見えてくるもの」
聴き茶のサービス

関連イベント

ボランティア研修会

本展の継続出品者および企画構成者がボランティア・スタッフに向けてレクチャーを行った。

2/27(土)15:00- 講師:小高一民 会場:いきいき活動センターしずか館
3/28(日)15:00- 講師:小林晃一 会場:栗橋コミュニティセンターくぷる
4/25(日)15:00- 講師:近藤昌美 会場:栗橋総合文化会館イリス
5/23(日)15:00- 講師:野原一郎 会場:いきいき活動センターしずか館
6/27(日)15:00- 講師:松永康  会場:いきいき活動センターしずか館

国指定重要無形民俗文化財「土師一流催馬楽神楽」公演

出演:土師一流催馬楽神楽保存会
日時:9月11日(土) 16:00-16:40
会場:いきいき活動センターしずか館体育館

恒星・ライブ

日時:9月11日(土)15:00-15:40/12日(日)、18日(土)、19日(日)18:00-18:40
会場:いきいき活動センターしずか館体育館
内容:日常と絵画制作の合間で、音により生活を揺らした。そこから生まれた多彩なビートは空間を振動させ、静かなる激情ギターによる魂のニュー・ミュージックが世の光と闇を浮き彫りにした。

ワークショップ「心の中の風景―自分自身と向き合う」

日時:9月12日(日)14:00~17:00、26日(日)14:00~15:00
会場:栗橋文化会館イリス工作室
内容:心の中に10センチ四方の箱をイメージし、その中にあるものを形にした。粘土を材料に、素焼き本焼きを経て作品にした。少々時間はかかったが、出来上がった作品は世界にひとつのものとなった。
講師:小林晃一
参加者:13名
材料費:1,000円

中学校との連携ワークショップ「見えていたもの、見えてくるもの」

2010年9月18日(土) 10:00~12:30
会場:いきいき活動センターしずか館体育館
参加者:久喜市立栗橋西中学校美術部生徒 10名
久喜市立栗橋東中学校美術部生徒 13名
「現代美術展<分岐点>2010」出品者 4名
指導者:武正恵子(久喜市立栗橋西中学校教諭)、小林素子(久喜市立栗橋東中学校教諭)
協力:・内田十詩哉(東部教育事務所)

内容

(1)作品の違いを言葉にする
事前に展示作品を鑑賞し、ワークシートに従ってそれぞれの作者の作品の違いについて記入した。
そのことで現代美術表現の多様性について理解する契機とした。
(2)ものの見方・考え方
生徒と出品者とで共に次のような創作を行った。
・プラスのイメージとマイナスのイメージを感じる図版を新聞や雑誌から探し、複数切り抜く。
・それらの一部を他の人と交換する。
・バランスを考えながら、それらの切り抜きを画面上に配置して貼り付ける。
・必要に応じてその余白に彩色、描画する。
・できあがった作品を見て、それがどのような場面か考える。
・考えたことについて各自が発表し、参加者どうしで意見交換を行う。
このワークショップを通して、意図せずに生まれてくる造形のおもしろさを知り、またそこからさまざまな意味が読み取れることを学んだ。

【東部教育事務所・内田十詩哉氏によるレポート1】LinkIconworkshop1.pdf

【東部教育事務所・内田十詩哉氏によるレポート2】LinkIconworkshop2.pdf

聴き茶のサービス

2010年9月19日(日)14:00~16:00
会場:いきいき活動センターしずか館体育館
提供者:友山邦雄

分岐点 ― 境はどこにあるのか 藤田千彩(アートライター)

[9月の創発2010レビュー]

 2010年の年末、私はGoogleに「分岐点」と入力し、検索した。検索該当結果は約 1,670,000 件あり、上から3つめに展覧会<分岐点>は表示された。上位に表示されたとはいえ、「分岐点」という言葉を検索する人がどのくらいいるのだろうか。そして<分岐点>という展覧会を見た人もどのくらいいるのだろうか、と想像した。

残暑が厳しい週末に、私は会場へ足を運んだ。前回(2009年)の展示を思い出すと、正直、展覧会会場に体育館という場所に驚かされた。体育館に入ったとたん、板張りの床や壁、貼られた色テープ、バスケットゴール、作品以外のいろいろな情報が目に飛び込んできたからだ。

私は目を凝らした。ものが多くあると雑然としているように感じるが、必要なもの=展示されている作品だけが見えるようになってくる。美術作品は美術作品であり、モノではないからだ。

頭上でぐるぐるまわっているタムラサトルの《スピンクロコダイル》。ステージ上で牙をむく動物のように吠えていた恒星の大きな絵画。会場の中央できりっと存在感を示していた、杉崎正則の人体彫刻。壁面から少し異様な雰囲気が漂っていたのは、樋口広一郎の絵画。そんな合間にあった、心が和む花が頭上についた小高一民のヘルメット。
そして会場を変えて、
垂れた絵具と色や形に、さまざまな思いを寄せてしまう近藤昌美の絵画。床から生えてきた樹のように立ち上がる、小林晃一の木彫と石による作品。はっきりしたイメージや色が、潔く感じられる野原一郎の平面。
美術館やギャラリーのような「見ることに慣れている場」でないせいか、作品のひとつひとつにきちんと向き合うことが求められた。私の迷いを打ち消してくれる頼もしい兄貴たちのように、作品は私に話し掛けてくれた。僕たちはここにいるんだよ、君のどこに引っかかったかい?と。

インターネットは「世界とつながる」と思われている。しかし実際には、漠然と見ているだけでは目標の事柄にたどりつくことができない。自分でキーワードや知りたい言葉をもとに、目的のウェブサイトにたどりつくものである。同様にこの展覧会<分岐点>も、たどりついた人だけが見ることができるものである。それは埼玉じゅうの県道を車で走っても見つからないし、雑誌に載ったから観客が増えるものでもない。つまりグローバル(あるいはボーダーレス)と思われている「インターネット」と、ローカルだと感じられる展覧会<分岐点>は似ているのだ。

毎日どこかで開かれている展覧会や観客数、その数を競うのではなく、質を競いたい。その点では、ホワイトキューブばかりが美術の場ではない昨今、体育館で開かれた<分岐点>は面白い展覧会だった。美術を知らない人たちでも、美術慣れしている人たちにとっても、五感のどこかを刺激される作品ばかりだった。少なくとも私は「たどりつけて良かった」と思っている。


Bunkiten - Right Direction toward the Target

Chisai Fujita (art writer / journalist)

In the year end of 2010, I googled "分岐点 (Bunkiten)", and found 1,670,000 results. The art exhibition "Bunkiten" came on the third top result. It came high on the list, but I thought, "How many people would google this key word and how many of them would really go to this exhibition?"

I remember of the previous exhibition in 2009. When I first entered the site, I was bewildered because information other than art works came into my sight. The exhibition was held in a gymnasium, with wooden floor and wall, colored tape, basketball goal, and other things that are not art works.
It was late summer weekend with intense heat that I visited its second exhibition in 2010.

I stared the site. My eyes eventually caught the art works. Though the site seems to be scattered with things, art work is art work. They became distinguished from its surrounding, for it is something that is exhibited by someone and they are the reason I came here.

The crocodile of Satoru Tamura spinning above my head, the painting of Kosei on the stage which gives me a sense that I am facing a howling animal baring its fangs, a figure by Masanori Sugisaki standing firmly in the center of the site, the unusual atmosphere from Koichiro Higuchi's paintings on the wall... among them, an helmet topped with flower, a comforting work by Kazutamy Kodaka.

Moving on, I see the painting of Masami Kondo, where its colors and shapes evoke various feelings. The sculpture of wood and stone, Koichi Kobayashi's work, stood on the floor like a tree growing from the ground. The two dimensional work with clear image and color by Ichiro Nohara gave me gracious feelings.
Since this site was an unusual place to see art works, I could face each of them more respectably than in galleries and museums. I could hear the art works say, "I am here. Did I touch any of your feeling?" The voice sounded confident and reliable that it ended my worries of if I have come to the right place.

Internet is said that it connects people and the world, but you would never reach anywhere unless you know your target. In Internet, you reach the information you need by fully using the key words. Same goes for this exhibition. You have to get here somehow to the see this exhibition. You can't reach here just by driving around the prefectural road in Saitama, nor seeing the article on the magazine. In this way, the global (or border less) Internet and the local exhibition "Bunkiten" is similar.

Countless exhibitions are held here and there every day welcoming audiences. Their value is in the quality of the exhibition and how much the audience could enjoy it. Their value is in the quality of the exhibition and how much the audience could enjoy it, not the scale of the exhibition nor the number of visitors.
"Bunkiten" was an interesting exhibition now that art exhibition could choose its site other than white cube. The works were stimulating for the sense of audience who are or are not familiar with art. At least, I am satisfied I could reach here.
[2011/1/27]